常在芝上ージョウザイシジョウー

フットボールクレイジーによる、フットボール観戦記とかゲームとか日常で感じたこと考えたことに関するあれこれ。

人生の目線

皆さまお久しぶりです、長らくご無沙汰しております、コジロウです。

さて、久しぶりにお目にかかる皆さまに突然伺います。

「あなたは道を歩くとき、どこを見ていますか」と。

大抵の方は「前を向いて歩いている」とお答えになるでしょう。

僕も同じです。

 

では、「人生を歩むとき、あなたはどこを見ていますか」。

こう訊かれると答えに窮する方がいらっしゃるかもしれません。

ある程度の年齢になれば自ずと答えられる質問でもありますが、若年になればなるほど、あるいは普段考えないと答えにくい質問ではあります。

 

僕が同じ質問を投げかけられたなら、どう答えるか。

至って単純です。

「前を見て歩んでいます」と。

 

思うに「勝ち組」だの「負け組」だのって言葉あるじゃないですか?

最近の言葉で言えば流行りの「インスタ映え」だの何だのと。

これら全て、異論は当然あるでしょうが、自分の人生をどの目線で見ているかというお話で、上を見上げたり下を見下げたりしているのかもしれないと思うんですよね。

「勝ち組」、「負け組」と言っても、自分の人生でしょう?

人生って、人と比べて勝った負けたは人によっては重要な論点ではあるのでしょうけれども、それが全てではないはずです。

あえて言うなれば自分が幸せなら、他人の目にどう映ろうが「勝ち組」じゃないですか?

インスタ映え」って、結局いいねが欲しい、つまりは人から評価されたい、承認欲求を満たしてほしい、自己顕示欲を満たしたい、そういう事なんではないでしょうか。

なんだか自分の人生を上からか、下からか見ていないと出てこない発想じゃないのかと思ってしまうんです。

 

僕は思うのです。

「上ばっかり見上げて生きていたら足元掬われるし、下ばっかり見下げて生きてたら大切なものが視界に入らない」って。

もちろん人間ですから、よそ見することは当然あるでしょう。

ふと目を遣った脇に、名前は知らないけれどきれいな花が咲いていることだってよくあります。

だったら、僕は今日だって明日だって、人生を歩む、毎日を生きるときは前だけ見ていたいなと思います。

 

「前を向いて歩む」といっても人それぞれ「前」は違いますから、自分と同じ方向を向いている、隣を歩む存在が、きっと家族だったり、友達だったり、恋人だったり、奥さん旦那さんなんでしょうね。

 

今回の記事の最後に、僕の大好きな戦国武将の一人、伊達政宗の辞世の句をご紹介します。

曇りなき 心の月を先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く

 

今回も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。